1年ぶりどころじゃないですが

ぜんぜん写真撮ってません。
d0044379_22220345.jpg
Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. Tri X

[PR]
# by y_takanasi | 2017-04-09 22:24 | Sonnar2/85

1年ぶりですが

 インターネットの、とりわけSNSや情報発信サービスが手軽になったお陰で、無断転載者がボウフラのように涌いて来る時代になった。これは何もモラルが劣化したとか著作権意識が低下したとかいうわけではなく、今まで隠されていた(あるいは気付くことのなかった)生活意識の低さが露呈したに過ぎない。むしろこうやってあぶり出される機会が増えた結果、モラルはともかく著作権意識は少しずつとはいえ上がってきているだろう。

 彼らを擁護するつもりは毛頭ないまでも、無断転載者のいくらかはそれが悪いことだとは認識していない。それでも「ネットに落ちていた」というフレーズには許し難いものがある。インターネットは公共の空間と看做されるが、その全域がいわば公共の道路なわけではない。むしろ、現実空間に比べれば、そのほとんどがプライベートスペースである。ただたんに、そのスペースがガラス張りで外から丸見えになっているだけだ。

 だから、あなたが「ネットで拾った」と云い張るものは、他人の家に掲げられたプライベート写真を窓ガラス越しに撮影したようなものである。あなたにそれを撮影する権利はあるかもしれないが、それを自分のものとして広く利用することはできない。あなたにできるのは、それはどこどこにあったと示すことくらいだ。たとえそれが検索サービスによる結果として見つけたものであっても、元々あった場所を明示しないものは単なる無断転載である。すでに無断転載されたものだからと云って、自分の無断転載行為を正当化することはできない。盗人から盗んだとしても、それはやはり断罪されるべき犯罪なのである。
d0044379_19101893.jpg

Saljut + VEGA-12V TriX
[PR]
# by y_takanasi | 2015-12-31 19:11 | VEGA-12V

他人の目

 昔、煙草を吸わない友人が一箱、いつも携帯していた事がある。聞けば台の確保に使うのだそうだ。パチンコの事である。日本は不思議な国で、パチ台にしろカフェ席にしろ、あるいは鉄道の自由席でも、手荷物をほいと置いて席を離れられる社会だ。よほどのことがなければ盗まれる事がない。もっともそれがモラルによるものなのか、あるいは周囲の監視という抑止力によるものなのかは判然としない。生得的に良くない事と認識しているからなのか、まわりの人に目撃されて通報されるのを恐れているからなのか、結果は同じでもこの二つは大きく違う。巨大な災害が起こる度に、日本では略奪暴動がほとんど起きない(まったくではない)ことに海外から驚かれるが、果たしてそれは個々人のモラルに由るものなのだろうか。単なる同調圧力ではないのか。ひと気のない赤信号を平然と渡る人を見かける度に、ふとそんな事を思い出す。そう云えば未就学児童を連れた母親が、点滅する青信号の横断歩道を無理矢理渡って、きちんと歩道に立ち止まった子から叱責される光景もしばしば見かける。願わくば、その子にはその時の気持ちを忘れないでいて欲しい。

 ところで冒頭のパチンコの話である。わたくしはもう何年も足を運ばないので現状を知らないが、今でもパチンコ店内は喫煙可なのだろうか。
d0044379_183452.jpg

Topcon Super D + Primoplan1,9/58. Tri X
[PR]
# by y_takanasi | 2014-12-31 18:04 | Primoplan1,9/58

卑怯もらっきょうも

 卑怯、という罵りがある。出し抜かれた、裏切られた、つまり想定外の手を打たれた時に発せられることが多い。あるいは予想はしていても、取るはずのない、もしくは取るべきでないと(勝手に)考えていた行動に出られた時だ。しかしこの言葉は、とりもなおさず罵倒する者の知恵の足りなさ、浅はかさを露呈する言葉でもある。想定していたのならなぜ対策を打たなかったのか? 予想もしていなかったのならその想像力の欠如はどこから由来した? 出し抜かれたという思いは、畢竟、己れの無能さに起因するのだ。

 注意すべきは、ルール破りは「卑怯」ではない、ということである。それは単なる「違反」にすぎない。法の抜け道を利用する輩は「卑怯者」だが、法を犯すものはただの「犯罪者」であって、決して卑怯者ではない。裏切りもしかり、契約や誓約を破ったのなら裏切り者と呼べばいい。それは卑怯でも何でもない。ただの口約束や信義や道徳だけに立脚するのなら、そんなものを無根拠に信用する方が愚かなのであり、特に対策を講じなければ「卑怯者」の餌食となるのは必然である。

 日本が法治国家となって久しいにも拘らず、いまだこの手の「卑怯」を口走る輩が多い。彼らはサムライかなにかの心算なのだろうか。わたくしとしては正しく「卑怯者」と罵られた場合、ざまあみろとしか答えようがないのである。サムライの皆様方におかれましては、300年前にでも帰って、どうぞ。

d0044379_19261695.jpg
Topcon Super D + Primoplan1,9/58. Tri X

写真・カメラ


[PR]
# by y_takanasi | 2014-12-20 19:27 | Primoplan1,9/58

評論家

 評論家と云うものは、知の営為をもって人生や事物の規範を提示する職業だと思っていたものだが、日本のそれを見ているとどうも違うらしい。とりわけ美術評論家と云うものは、自分で物事を考えるという根幹を放擲した、知識のパッチワークで大衆を煙に巻く生き物であると定義した方が良さそうな勢いである。彼らはその感性でもって作品を創り出すこともできなければ、知性でもって作品に新たな価値を与えることもできない、どうしようもないクズらしい。もとより、そのようなクズでも食べて行けるように、日本の美術界が美術評論家というポストを用意しているのだろう。立派な福祉政策ではある。あたうれば、美術評論家評論家なるメタ職業も欲しいと云っては欲張りだろうか。
d0044379_0473654.jpg

Welta Weltax (Cassar2,9/7,5cm) VELVIA 100F
[PR]
# by y_takanasi | 2014-12-14 00:50 | Cassar2,9/75

拝金主義

ずうっと昔、サークルの会計マニュアルを作った時に入れた銘が「カネこそすべて」だった。思えばその頃からわたくしは絶対的拝金主義者だったのだろう。ところで拝金主義と云うと誤解する人もいるが、百円の為に人殺しをするようなことではない。カネの為なら大凡なんでもやると云うイメージがまったく間違っている訳でもないが、あらゆる事物、思想、行為を正しく換金できる能力を有するのが拝金主義者である。もし百円の為に人を殺めることができるとしたら、その人は拝金主義者の風上にも置けぬ、価値の判らぬ愚者と看做されるであろう。
d0044379_2482097.jpg

Welta Garant (Trioplan4,5/10cm). VELVIA 100F
[PR]
# by y_takanasi | 2014-11-30 20:16 | Trioplan4,5/100

瞬間

 アンリ・カルティエ=ブレッソンの有名な作品集に「決定的瞬間」と云うものがある。これは原題ではなく、彼自身が序文に引いたレッツの枢機卿による「この世に決定的な瞬間をもたぬものなど存在しない」から取られた米国版のタイトルだ。

「決定的瞬間The Decisive Moment」とは実に巧妙で、政治的な選択だとおもう。政治的と云うのはそれがある思想へと誘導するからだ。

 周知の通り、原題は「逃げ去る映像Image à la sauvette」である。そこにあるのはいままさに消えゆく光景であり、それじたいはただの映像にすぎない。カルティエ=ブレッソン自身がどう感じたかはともかく、作品を観るものにとって、あるいは特別な光景であるかもしれないし、あるいはなんの変哲もない光景かもしれない。

 だが「決定的瞬間」と総題がつくことで、様相は一変する。それらの作品はすべて「決定的」な瞬間、すなわち「特別な」映像であると、先入主を植え付けられるのである。かの枢機卿がいかなる意図で云ったにせよ、凡庸なわれわれは特別な瞬間と特別でない瞬間を切り分ける。カルティエ=ブレッソンの一葉一葉は、すべてなにか特別な意味を持った光景であると、凡庸なわれわれに強制するのだ。もちろん、事実はそうではない。なにが決定的で、なにが決定的でないかは、あくまで鑑賞者自身の手のうちにある。ただ、考えることをやめた幸福なものだけが、そのすべてを決定的な瞬間として受け入れることができるだろう。
d0044379_18225963.jpg

Contarex super + Planar 1,4/55. ILFORD DELTA 100
[PR]
# by y_takanasi | 2014-05-27 18:25 | Planar1,4/55

作品至上主義

 わたくしは表現者の端くれとして、作品至上主義の立場を取っている。これはすなわち、完成された作品に対する作者の介入を厳に戒めるものであり、ことその解釈にあたっていかなるヒントも、況や解を呈示することを否定する。なんとなれば作者が込めるべきメッセージもパッションも、製作過程において既に作品に込められているのであるから、完成作品に付け加えるべきものはなにもなく、またそこからいかなる解釈を引き出そうが、それはすべて作品と鑑賞者間の問題であるからだ。

 不幸にして、後者の問題は屢々、と云うより頻繁に、作品鑑賞の場において忘却される。なにしろ批評の大家や教育者連中がこの問題を閑却すること甚だしいのだ。彼らは無意味にも作品の向こうに作者とその制作意図を見ようとする。いやそれ自体は悪いことではない。彼らが決定的に害悪であるのは、そうやって見出したモノを唯一の真実であると思い込み、他の鑑賞者に強制するからである。彼らには作品を通して見出した解釈が、鑑賞者自身によって再構築されたひとつの可能性にすぎないことに気付けない。ある解釈を導き出す過程が妥当であるならば、すべての解釈は真なのであり、その限りにおいて間違った解釈など存在しない。にも拘らず彼らがこの手の過ちを犯すのは、愚かな作者が事後介入を屢々為してしまうからである。つまり、まるでクイズのように、作者自身が「答え」と称するものを語ってしまうのだ。

 もちろん芸術の長い歴史の中では、そういった唯一の解を作者が用意していた時代があった。むしろ、そのほうが長かった。だがそれをもって、他のあらゆる解釈を否定することはできない。なぜなら完成された作品はいつでも作者の外にある存在であり、作者の手を離れた以上、作者の意思と1対1で照応することは不可能だからだ。そのゆらぎの中に論理的なすべての解釈が許容される余地がある。そうすることが可能である以上、そうすることを拒絶することは他の鑑賞者はもちろん、作者にすら許されないのだ。そう、作者の表明する意図も、完成された作品にとってはもはやひとつの解釈にすぎないのである。あらゆる作品に唯一の解釈は存在しない。鑑賞者の数だけ解釈が存在するのだ。

 鑑賞者、つまり作品の享受者は、自分たちがもっと能動的であり、表現の受け手として自由であることを、それだけ強力な存在であることを、自覚すべきだろう。
d0044379_053894.jpg

Contarex super + Sonnar 2/85. ILFORD DELTA 100
[PR]
# by y_takanasi | 2014-05-18 00:55 | Sonnar2/85

覚悟

 わたくしの瞥見する限り、現代日本の現代アーティストとは、彼らの気に入らぬ権威やルールにはだだをこねて抵抗したり破ったりするが、都合のいい権威とルールにはひたすらすり寄って作品や自身の箔付けに利用すると云う職業である。これほどダメ人間に適した職業もそうそうないだろう。もとより芸術家は多分に稚気を含んだダメ人間の気が強いものだし、それをもって完全に断罪するつもりもない。そう云う人間によって生み出された作品になにがしかのセンセイションに訴えるものがあれば、一人以上の支持者がいたっておかしくはない。そしてアートの良し悪しは、単に支持者の多寡で決まるものでもない。

 わたくしが日本の現代アーティストに危惧するのは、アーティストは治外法権だと勘違いしている輩が増えているという点だけである。ともすると同じように勘違いするバカが湧くのだが、表現手段において社会ルールを逸脱すること自体を全否定するのではない。もちろんだからと云って許すつもりもないが、そもそも許すかどうかはルールによるものであって、ルールを逸脱している以上、それは許されないことだろう。だがアーティストには、それを犯してまで表現する自由がある。そうしてこれは自由であって権利ではないのだから、おのれの作品によって惹き起こされた批判と、ルール上の罰則は必ず受けなければならない。それが自由の対価であるのだが、はたして世の自称現代アーティストたちにその覚悟はあるか。
d0044379_2275853.jpg

Contarex super + Sonnar 2/85. ILFORD DELTA100
[PR]
# by y_takanasi | 2014-05-11 22:10 | Sonnar2/85

作者と作品

 例のゴーストライターの一件で、世人は作品の背景にある物語性を作品評価の基準に屢々、と云うか頻繁に採用することが白日の下に晒された。わたくしは作品至上主義者であるが故に、その姿勢を徹底して批判する訳だが、また一方で、作品と作者は決して切り離し得ないが故に背景の物語性をも作品に積極的に利用すべきだと主張する一派があることも理解している。そしてまたわたくしも、その根拠たる部分を否定しないし、否定できない。否定できないからこそ、作品と作者を切り離すことに心血を注ぐのだ。これはどちらが鑑賞、評価態度として正しいかの問題ではない。所詮この世に純たるものがない以上、わたくしはせめて作品鑑賞の場においてその純たるものを追い求める。人間の活動に限界があるということはまた、作者と作品を切り離すことがが不可能であるという判断も100%真であるとは限らないということだ。それが悪魔の証明であることは百も承知だ。だがそれゆえに、わたくしは可能の証明を求めて純然たる作品評価を追求するのである。
d0044379_21492063.jpg

Contarex super + Sonnar 2/85. ILFORD DELTA 100
[PR]
# by y_takanasi | 2014-05-10 21:50 | Sonnar2/85