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le nom

 わたくし、日本製のレンズは嫌いじゃないのだが、どうも手許に長居しないのである。今では僅かに5本が残るのみだ。レンズ自体100本以上持っていると云うのに、この数はないんじゃないかとも思う。手許に残らない、つまり愛着が湧かないのは性能のせいではなく、単に名前が原因なんだと思う。早い話、どれもこれも同じネーミングで、面白くもなんともないのだ。

 名前と云うものは常に恣意的に付けられ、そこにシニフィエとの因果関係はまるでないものだが、経験と云う時間の積み重ねが相応関係を発生させて固着する。そうなるとシニフィアンとシニフィエの関係は意識下にコントロールされるものではなくなるから、これを乱す新たな視聴感覚は我々を混乱させるのだ。それ故初期段階での命名と刷り込みはとても大事なことなのだが、日本のレンズはこのプロセスを余りに軽んじてしまった。会社名や単一名によるブランド統合は確かに全体的なブランド戦略に貢献する。だがそれは同時に、個々の製品の主体性を喪わせ、名前だけで個をありありと想起させると云う、名前の有つ効能を捨て去ることとなる。

 しかしこうやって考えると、日本のレンズが辿った途は、ある種極めて日本的な価値観に正しく沿ったものなのかも知れない。即ちそれらレンズの性格は、焦点距離と明るさ以外に何ら差異を持たない均一なものであるべきだ、と云うことである。これは一面において写真レンズの正しい展開の仕方だろう。少なくとも、交換レンズを選ぶ際の基準を画角とスピード以外には置かないような人々にとって、この均一性は頗る重要なことなのだから。
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Beseler Topcon Super D + RE,Auto-Topcor2,8/35. FUJIFILM SP400
by y_takanasi | 2009-08-02 21:09 | RE,AutoTopcor2,8/35


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