記念写真

 わたくしは写真を表現作品と見ているけれども、だからと云って記念写真の価値を否定するものでもない。だいいち記念写真──または記録と作品との間に、なんらの優劣関係もありはしない。世の作品主義者にはここに拘泥して憚らない徒輩があるが、とんだ自意識過剰、もしくは自己欺瞞である。抑もすべての表現方法はコミュニケーションと記録への慾望から生まれたのであって、その狭義の目的が事物の記録から離れて行ったとしても、表現者が自己のなにがしかをそこに刻印しようとする限り──いやそれこそが表現の表現たる所以であるが──作品は常にひとつの記録であり、写真作品は畢竟記念写真なのである。だが、今はそこまで穿つ必要もあるまい。世間一般に記念写真と呼ばれるもののことだ。

 どのような記念写真であろうと、そしてそれがいかに鑑賞者個人にとっては無関係な事物を切り取ったものであろうと、美しいものは美しく、いかに決まりきった構図であろうとも、あるいはその反対にとことん非常識な作図であったとしても、それらはその絵の有つ表現としての美しさを聊かも損なうものではない。当然だ。美とは評価項目の如く細分化された部分の合計から生み出されるものではなく、その全体から新たに導き出される単一の感興なのだから。あらゆる表現の美に差異があるとすれば、それは優劣の差ではなく、大小の違いだけである。それは恰も無限に大小の差があるのと同じようなものなのだ。すべての無限が無限であると云う点に於いて同一性を持つのと同様、すべての美は美しいということに於いて等価なのである。そして美が表現から生まれるものである以上、同じ表現としての記念写真と作品写真各々から生まれいずる美に何の径庭があろうか。それを感ずる人々の多寡はあろうとも、それのみがかかる写真一葉の価値を決定するものではない。万人に感興を惹起させる美はこの世になく、かるが故に個々の美はひとつひとつ言及するに値する。
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Contax II + Sonnar1,5/5cm. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2011-04-23 20:38 | Sonnar1,5/50


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