写真表現

 あるひとつの写真を例えば記号として捉えた場合、我々はまずそこから指標作用を取り除き、これを表現表示作用のみに純化せねばならない。すなわち、そこに何が写っているのかを問うのではなく、どう表れているのかを見つめなければならないのだ。その上で各々の表示作用が我々の認識そして心象にもたらした──あるいはもたらすべき現象について判断するのである。

 よく写真の害悪のように云われる周辺光量落ち、四隅の乱れ、コマ収差や口径食も、それが欠点であると即断すべきではない。一般的な写真──表現とは、現実の模倣でも定着でもない。上述の欠点と見なされる特徴も、ただ写真レンズ発展の文脈から欠点と見るのではなく、表現表示作用のひとつとして写真全体の中で捉え、評価しなければならないのだ。

 かるがゆえに、写真にとって機材の選択は、画家が絵筆を選ぶのとは違う次元で、より重要なこととなる。それは絵筆が絵を描くための道具に過ぎないのに対し、機材──とりわけレンズとフィルム──は、単に写真を撮るための道具ではなく、写真表現自体に密接な連関を有つ、いわば技法そのものでもあるからだ。

 世の多くの写真好きと称する連中は、ここのところに気付いていない。このため、昨今はびこる写真芸術とやらは、被写体の珍奇さ、構図の斬新さ、表題の雄弁さばかりを衒っているだけで、還元すればただ一派のバリエーションを奏でているに過ぎない。わたくしが現代写真芸術に面白みを見出せないのは、そういった画一主義とモチーフ主義の氾濫するがゆえである。

 これは写真に限らず、小説や映画、まんがでもそうだ。それが時代の風潮だというのなら、そんなくだらない流行に従わなくともすむ、アマチュアでいることに感謝すべきだろうか。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2005-09-23 19:59 | Sonnar2/85


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