終わりの始まり

 正しい、と云うよりも真性のフィルム写真好きは、フィルムがなくなった時ではなく、フィルムカメラの新製品が出なくなった時にこそ、その活動を停止すべきなのではないか、と最近思う。フィルムに最適化されたカメラやレンズの新製品が開発されなくなるということは、進化発展をやめたということだ。それが技術的に不可能になったのかどうかは無関係に、ただ進化をやめた、と云う点が重要なのだ。従ってそれ以降のすべてのフィルム写真は、過去の残滓によって生きながらえているわけであり、これは退行、緩慢な死なのである。たとえ感材が進化を続け得たとしても、現像方法に革新があったとしても、そこに像を結ぶシステムが「死んで」しまっている以上、すべてはただのノスタルジーであり、亡き子の歳を数えるようなものだ。

 もちろん、わたくしはそれが悪いとは云っていない。わたくし自身がその亡き子の歳を数える親である。だからこそ云いたいのだ、フィルム写真に拘泥する輩は、進歩に背を向けた頽廃の徒なのだと。そしてそのことをよく肝に銘じておくべきなのだと。
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by y_takanasi | 2014-04-06 23:04 | Retina Ia (Ektar)


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