「フィルム」の自由

 わたくしはデジカメに愛を注げない前世紀の生き物である。理由は幾らでも付けられる。カメラが精密機械から家電になってしまった、と云うのはその最も手軽な理由だが、今、「手軽」と書いたように、それは本質的な原因ではない。最大の原因はもちろん経済的な部分にある。だが、単にカメラが高いと云うのは皮相的な見方だろう。経済的な問題は、つまり暗箱と感材が分離できないところに起因する。そう、かつてのフィルムカメラでは、このふたつが分離することで極めて効率的、経済的な機材の代謝をはかることができた。どんな廉価機でもフラグシップでも、この分離は完全だった。しかしデジカメでは、暗箱と感材は一体である。

 デジタルカメラでは暗箱、もしくは感材どちらか一方だけを更新、あるいは変更することができない。これはすこぶる非効率的である(中判高級機にはそれが可能なものもあるが、普及機でもそうすべきなのだ)。従ってどんなにボディ(暗箱)に愛着があっても、感材(画像エンジン)が陳腐化してしまえば、暗箱ごと替えなければならない。あまりないことだろうが、その逆も然り。これを非効率と云わずに何と云おうか。

 デジカメは云ってみれば、ボディにフィルム数百本がセットでついてくる抱き合わせ商材である。しかも途中でボディを替えたかったら、余っているフィルムは流用できずに、またフィルム数百本セットのボディを買わなければならない。余りのフィルムはすぐに時代遅れとなり、一方古いボディで最新の「フィルム」を使うことはできないのだ。

 もちろん、それどころか他社の「フィルム」を使うことだってできやしない。レンズについてのみ、他のフィルムを使う唯一の方法は、マウントアダプタを介して他社のボディに装着することである。このミラーレスデジタルカメラ全盛期にあって、アダプタ道楽がフィルム時代以上に猖獗を極めたのには、かくも明快な理由があったのである。
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by y_takanasi | 2014-04-13 23:10 | Sonnar2/85


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