作品としての写真

 mimiさんところから話題を拝借しよう。写真に言葉は必要なのか、だ。云うまでもなくわたくしは不要派である。むしろ害悪とすら考えている。それは言葉が独立した表現媒体である以上、1葉の写真に説明やキャプションをつけることは、作品を2つ並べるようなものだからだ。それゆえ表題すらも無用のものとする。

 必要派の多くは、作品に対する作者の説明責任を口にする。だがこれは奇妙な話だ。なぜ作者は作品を説明しなければならないのだろう。作品こそは生み出されたもののすべてであり、作者が表現したところの結果だ。ひとつの表現を別の媒体で表現することは批評であり、あるいは本家取りである。それは元の作品と関連性を持つが、そのものではない。それどころか別個の表現作品である。写真に別媒体の表現を追加すること、それはもはや純粋な写真──作品ではない。

 もうひとつの問題は、作者が作品を説明するその愚かさだ。それはその作者が作品を完成し得なかったことを表明するに等しい。なぜ作品だけで表すことができないのか。伝えたかったことを確実にするため? ちょっと待って欲しい。作品は表現であり、芸術である。決してコミュニケーションではない。作品──表現はそれ自体で完成され、存在するものであり、そこに込められたもの──そんなものがあったとして──をどう受け取るかは鑑賞者次第なのだ。そこにもはや作者が介入する余地はない。説明(表題も含む)──言葉とは正にその介入であり、誘導である。別媒体で誘導される作品に何の価値があるか。言葉で補完されねばならない写真に何の価値があるか。そんな写真なんかやめてしまえ。
d0044379_20465644.jpg

Nikon F2 + Nikkor 2,5/105. ILFORD XP2 super
[PR]
by y_takanasi | 2006-09-22 20:48 | Nikkor2,5/105(1)


<< That's Satz... Contaflex beta >>