解像度と云う名の神

 カメラを長く弄っていると、段々と中判や大判にシフトして行く人が割合に多い。わたくしはこれを、趣味が嵩じたのだと見るのではなく、単に老化が進んだ結果だと見ている。つまり、老眼だ。35ミリ判の繊細さに目がついて行けなくなって、同一サイズで比べた場合拡大率の低い、つまり見かけ上より精緻にみえる中、大判に惹かれるのだ。まあ、目が悪くなるのは仕方ないとして、ただ大きいことは良いことだ、と云わんばかりの中、大判愛好家には疑問がある。わたくしはフォーマットの違いは解像度の差ではなく、表現媒体の違いであるということに意義を見ているので、この手の被写体に関わりない中、大判愛好を蔑視する。単位面積あたりの精緻さを求めるこの思考は、つまり、もっと画素数を!と叫んでるデジカメユーザと変わりないし、かつて見られた(今も)レンズ解像度信者と全く同じ精神構造だ。それが例えば、病理学写真であったり、測量であったり、高解像度であることに意味のある利用法ならまだいい。大体において解像度信者の撮る写真とやらは、高解像度である必要が全くないくずのような写真である。あるいはカミソリのようなピント面に命を賭けたが如き、写真のためのレンズなのかレンズのための写真なのか判らないゲテモノを量産する。アマチュア写真と云うより、もはや児戯である。こんな児戯を見て喜んだり貴んだりする輩が多いせいで、日本の写真界は底辺からどんどん腐ってきているような気がする。
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Contax II + Topogon 4/25. Tri X
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by y_takanasi | 2007-12-29 13:53 | Topogon4/25


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