何故に銀塩

 記録機械としてのカメラなら、フィルムカメラにもはやそのアドバンテージは何もない。いや記録用途でなくとも、高度に画一化され光学性能的にも洗練された今日のデジタルカメラに対して、進化の止めたフィルムカメラにどれだけの実利的優位性があるか。有り体に云えば、そんなものは既にない。では我々は何故、前世紀の遺物たるフィルムカメラに拘泥し、惑溺し、愛玩しようとするのか。フィルムプリントの味? 残念ながら、それすらも今やデジタル環境下で再現または加工されうるものになってしまった。こと生成物としての写真に関する限り、フィルムカメラには一片の優位性も、独自性もない。それでは一体全体、何故に我々はデジカメではなくフィルムカメラを選ぶのか。

 答えは至極簡単なものだ。即ち我々は、それがフィルムカメラだからこそフィルムカメラを選ぶのである。優位性だの利便性だの独自性だの、そういった功利的な選択比較基準は関係がなく、デジカメ──デジタル技術がこの先どんなに発達したところで決して有ち得ない価値基準、つまりフィルムカメラであること自体が、決定的要因なのだ。これは要するに物神崇拝──フェティシズムである。フェティシズムは代替を要求しない以上、我々はフィルムカメラの「代わり」にデジカメを選ぶなどと云う愚挙には出ない。もしそんなことが起きうるとすれば、彼が功利主義者に過ぎなかった時であり、あるいは彼がデジカメをもフェティッシュの対象としてしまった時である。とは云え、全てのフィルムカメラ愛好家がフェティシストと云う訳ではない。功利主義者であるにも拘らず、フィルムカメラにしがみつく人々はいる。ただ彼らは染み付いてしまった習慣を変えることを恐れる、哀れな臆病者に過ぎないだけだ。
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by y_takanasi | 2008-09-11 19:37 | Sonnar2/85


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