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Pancolar 1,4/55

 1960年代、新しいレンズ用ガラスとして、幾つかの希土類元素硝材が試みられたことがあった。ランタンクラウンやトリウムガラスの利用である。パンコラー1,4/55はそのうちトリウムガラスを使用した、東独ツァイスの大口径レンズだ。そのトリウムのせいだろう、現在ではガラスが強い黄色みを帯びていて、リバーサルで撮影するとその黄色がはっきり絵に出てしまう。おまけにこのガラスは微弱な放射線を出していて、フィルムを感光させるほどのものではないにしろ(そんなレベルだったら税関を通らない)、なかなかに剣呑だ。

 1969年のペンタコン・スーパーに標準レンズとして搭載され、東独カメラ産業の技術力を誇示したレンズではあったが、生産ラインの大衆路線シフトによってペンタコン・スーパーともども僅か5年で姿を消した、短命なレンズだった。
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Pentacon super + Pancolar 1,4/55, Tri X
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by y_takanasi | 2005-05-30 07:43 | Pancoloar1,4/55

プリント

 モノクロ写真の最大の愉しみはプリントにある。僅か24×36ミリのネガから大きな絵を作るのはなかなかに愉しい経験だ。わたくしはバイテンにしか伸ばさないけれど、気に入った絵はもっと大伸ばしにしてみたくなる。

 よく暗室作業で一番楽しいのは印画紙を現像液に浸けて、絵が浮かび上がってくるときだと云う。確かにその瞬間もわくわくするものであるが、ある程度やっているともう大した感動は呼び覚まさない。それよりもわたくしが一番愉しみにするのは、定着液から引き上げて明るい水洗場に持って行ったときだ。期待した通りの陰影、調子がそこに現われているのを見たときの感慨は他に代え難い。

 わたくしの使っている引伸し機はLPLのVC6700で、散光式だ。集散光式に比べて露光時間が長くなり、調子もやや軟調に傾くと云うけれど、ネガ傷が目立たなくなるのでこちらを選んだ。埃が入るのを極端に嫌うので、ネガキャリアは素通しのものを使う。これはノートリミング用に枠を削って大きくしてある。引伸しレンズは専らローデンシュトックのアポロダゴンで、それまで使っていたフジノンに比べると柔らかく、階調を再現しやすい。少し硬めに焼きたいときはフジノンも使っている。

 印画紙ははじめからバライタ紙を使っていた。レジンコート紙のほうが簡単(と云っても使ったことがないから判らない)だと云われるけれど、仕上がりの艶を考えるとバライタに限る。カーリング対策がちょっと面倒なだけだ。

 このブログに掲載しているモノクロのうち、黒枠が出ているものはプリントをスキャンしたもので、あとはフィルムスキャンである。自動ゴミ除去機能のため、フィルムスキャンした絵は若干ソフトな絵になってしまっている。
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Contax II + Biogon 2,8/3,5cm, Tri X
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by y_takanasi | 2005-05-26 07:09 | Biogon2,8/35

戦前の3本の2/5cmレンズ(その3)

 ところでここにもう1本の2/5cmレンズがある。クセノンではない。フェド2/50、すなわちハリコフのフェリクス・エドマンドヴィッチ・ジェルジンスキー・コンミューンで開発(模倣)された35ミリ小型カメラの高速レンズだ。フェドの小型カメラ──コンミューンの名前を採ってフェド(フェト)と呼ばれる──は1932年に発売されたライカDIIをベースにコピーされたものと云うのが通説だが、それは一部において間違っている。確かに今日良く知られるフェドはライカDIIの外観をもっており、量産品においてDIIを模倣したことは事実だが、それに先行するフェド・オリジナルの写真が存在し、これはライカA型のコピーなのだ。その決定的と云えなくもない状況証拠がある。すなわちフェドのフランジバックはDIIのそれと異なるのである。

 ライカA型がレンズ交換式のC型になったとき、実焦点距離のばらつきに由来するボディとレンズの組み合せの限定があったことは周知の事実だ。つまり、フェド・コンミューンは最初手に入れたライカAの寸法に基づいて最初のフェド・オリジナルを制作したあと、ライツがフランジバックを28,8ミリに統一したことを知らずにライカDIIの外観と距離計機構だけを模倣した。こうして基準焦点距離が51,6ミリではなかったライカAをベースにしたライカDIIのコピー、フェドが出来上がったのだ。フェドのフランジバックはおおよそ28,3ミリである。フェドの標準レンズ、フェド3,5/50(インダスター10)の実焦点距離を厳密に計測すれば、さらに詳しいことが判るだろう。

 さて、フェド2/50だ。一見しただけでズマールを参考にしたと判る。4群6枚のダブルガウス型構成で、硝材のインデクスまでは詳らかにしないが、ほぼズマールもどきと云っていいだろう。鏡胴の造りは固定鏡胴、沈鏡胴いずれのズマールとも似ない。あえて云えばエルマーとズマールの相の子だろうか。開放では強いフレアを伴い大変甘い描写をする。だがもともとの素性が良いのだろう──ズマールのデッドコピーならなおさらだ──シャープネスは絞ったところでさほど改善されないまでも、ソフトで細やかな描写は好ましいものだ。ゾナーが少し絞ったところから強烈なシャープネスを見せつつ、決して硬くはない──この点、戦後のニッコール2/5cmは硬い──優秀な描写をするのとは好対照だが、いずれのレンズもシャープに写るだけが能ではない、現代のレンズが失ったあるものを再認識させてくれる。

 ライカDII似のフェドは1935年頃に登場したが、フェド2/50を始めとする交換用レンズが現われたのは1938年も終わり頃だった。翌年にはソ連は交戦状態に入り(ポーランド占領と冬戦争)、その2年後には大祖国戦争が始まってしまうため、これら交換レンズの数も種類も少ない。やがてドイツの敗戦とツァイス資産の継承が戦後のソビエトレンズをツァイススタンダード一辺倒にさせてしまい、ビオターの後継であるヘリオスを除いてダブルガウス型の標準レンズは長い間姿を消してしまった。オリンピック・ニッコールのコピーと思しいヘリオス94が戻ってくるのは、1970年代に入ってからである。(了)
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Tsukishima, FED + FED 2/50, NEOPAN 400 PREST
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by y_takanasi | 2005-05-24 10:56 | FED2/50

戦前の3本の2/5cmレンズ(その2)

 この新参者の攻勢に対し、翌1933年ライツは早くも防衛策を打ち出した。低速シャッターを装備したライカDIIIの登場と、ズマール2/5cmの投入である。いわゆるダブルガウスタイプのズマールが、なぜトリプレットの変形ではなく、リーのオピックレンズに端を発するこの途を採ったのか詳らかにしないが、マックス・ベレクにはガウスタイプについての論考も多くあるから、慣れた手法によったのかもしれないし、あるいはゾナーによってトリプレットの行く先を指し示された結果、否応なくガウスタイプの展開を模索したがゆえの論文の多さかもしれない。いずれにせよ、ライツとベレクがガウスタイプを選択したことは、この時点でまだ幾分かの制約事項(例えば界面反射の問題)を伴っていたとは云え、大口径レンズの発展について先見の明を有っていたとも云えよう。

 ライカ判カメラにおける最初の本格的なダブルガウス型のレンズ、ズマール2/5cmは、しかしそのライバル(ゾナー2/5cm)に対して空気境界面が8つもあるというハンデを背負っていた。コーティングのない時代、この空気界面の存在は画質に悪影響を及ぼすフレアの原因として忌まれており、一面につき約5%の光が失われるか乱反射するため、8面ともなれば1/3以上の入射光量がフィルムに正しく到達しないことになる。ツァイスはこの界面数に制限を設けていたと思しく(例としてヘラーの設計手順)、ビオゴンとオルトメターを除く戦前のコンタックスレンズはすべて6面以下だった。ゾナーがその驚くべき鮮鋭度と明るさを有ちえたのも、「貴方のカメラの鷹の目」テッサー同様、6面に抑えたお陰でもあった。

 このハンデにも拘らず、しかしズマールは12万本を売った。ヘクトール2,5/5cmが1万本に満たなかったことを考えると、ただ単に明るかったがためだけとは思われない。実際空気界面による損失量を考慮すれば、ズマールの開放F値は2,8に近かったはずである。今日残るズマールの多くは、フロントエレメントの硝材が柔らかいせいもあって状態の悪いものばかりで、このため新品当時の性能を発揮し得ていない。このような個体の写りの悪さがズマールの評判を落としているのだが、それはベレクの思いもよらないことだったろう。コンディションの良い、あるいは後世再研磨コーティングされたズマールの写りは決してゾナーに劣るものではない。確かにシャープネスでは一歩を譲るとしても、画面全体に亘る穏やかで繊細な描写は他の何ものにも代え難いはずだ。ライツ──ベレクの選択は間違ってはいなかった。それはズミタールを経てズミクロン2/50において完全に証明される。
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Urayasu, Leica M3 + Summar 2/5cm, ILFORD 400 DELTA PRO
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by y_takanasi | 2005-05-23 06:18 | Summar2/50

戦前の3本の2/5cmレンズ(その1)

 ツァイス・イコンが35ミリ判小型カメラの偉大な先達ライカに挑戦したコンタックスは、結果的にボディでは敗北を喫したけれども、大戦終結までの13年間、常に技術的に優位に立ち続けた一群のレンズを擁していた。1932年にお目見えした3本のゾナー、2本のテッサー、1本のトリオターのうち、中でもF2とF1,5の5サンチのゾナーは、その驚異的な明るさ(欧米では速さと云うが)で一世を風靡し、ハコで遅れをとったツァイスの面目を保ったのだ。

 ほぼ独学でレンズ設計者となったルートヴィヒ・ベルテレは、1923年にトリプレットを改良したF2エルノスターによってその才能を開花させていた。このエルノスターの第2、3群間の空気間隔をガラスで埋めることで、より高次の補正をきかせたのがゾナーである。最初の設計では後群は単エレメントだったが、すぐに貼り合わせダブレットとなり、これがF2ゾナーとして1932年、世に出ることになる。ゾナー型の特徴は正の歪曲がやや強いことと、コマ収差が比較的良く補正されていることだ。このためその明るさにも拘らず、その当時としてはシャープで力強い絵を作ることができた。ゾナー型はバックフォーカスの短さから、一眼レフカメラが主流となった戦後、標準レンズとしては急速に廃れていったが、今でも中望遠クラスのレンズにそのバリエーションを見かけることが多い。
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Kobe, Contax II + Sonnar 2/5cm, Tri X
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by y_takanasi | 2005-05-22 05:15 | Sonnar2/50

Flektogon 2,8/35

 フレクトゴン2,8/35は東独カール・ツァイスが初めて世に送り出した一眼レフ用逆望遠レンズであり、パリのP.アンジェニューに遅れること1年の1951年のことだった。シュツットガルトの分家、西独ツァイスが距離計連動カメラに拘泥しているうちにいち早く戦後のカメラの流れを捉えていた東独ツァイスは、コンタックスSで一眼レフカメラのスタンダードを作ってしまい、その後も管理経済社会の中、60年代までどうにかリードを保ち続けたのだ。

 それゆえに、と云うわけでもないが、東独ツァイスが光っていたのは1950年代から60年代前半までだった。この間に誕生したツァイスレンズは、どれも現代でさえ通用する品質を有っているし、カメラだって──多分に趣味的だけれど──使えないわけじゃあない。少なくとも20ミリから1000ミリまでの魅力的なレンズラインナップは、各種のマウントアダプタやベッサフレックスのお陰で、まだまだ現役でいられるってことだ。
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Contax S + Flektogon 2,8/35 Tri X
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by y_takanasi | 2005-05-19 05:39 | Flektogon2,8/35

Biogon 4,5/21

 ビオゴン4,5/21はなんとも魅力的なレンズだ。ハリー・キャラハンが愛したのも判るような気がする。都会の風景を切り取るのに適したパースペクティブだと云われる21ミリなんて、今ではどうってこともない焦点距離だし、F4,5の開放値に至っては暗すぎる以外の何ものでもないけれど、これが50年も前に設計されたレンズなのかと疑いたくなるほどの色乗りの良さとクールなシャープネスを見ると、この半世紀の技術進歩は明るさを2,5倍にしただけなのかと云いたくもなる。いやもちろん、それはそれですごいことなんだろうけど。
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町なかではないルート357沿いで Contax II + Biogon4,5/21 SENSIA II
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by y_takanasi | 2005-05-18 05:39 | Biogon4,5/21

表現としての写真および良いレンズ

 現代のレンズはとかく優秀で、もはやメーカーや設計者による差異はほとんどないと云ってもよい。あるのはコーティングの方法とか硝材の選択とか絞り羽の枚数といった、云ってみれば金をかければどうとでもなるような違いであって、どのメーカーも最高級のばか高いレンズともなれば、これといって性格の差も出ない、要はどんぐりの背比べだ。

 そうなると当然と云うべきか、同じ被写体を同じフィルムで撮れば、どれもこれも同じような絵が出来上がることは自明の理であり、ここに当代写真芸術の有つひとつの問題点が浮かび上がる。すなわち主題第一主義だ。いかなるモチーフを選択するか、極言すれば先に撮ったもの勝ちなのである。あるモチーフを誰よりも先に撮る、誰も撮っていないモチーフを撮る、それが写真芸術家を評価する基準なのだ。絵画では同じモチーフを様々な画家が描き、それぞれが固有の評価を受け得るが、今の写真芸術とやらにそれはあり得ない。すでに撮られたモチーフを撮った者には、二番煎じの烙印が押されるのみだ。それも仕方あるまい。今時のレンズでは誰が撮ったって同じように写るのだから。何が写っているのかだけが取沙汰され、どう写っているか──どう、と云うのは構成とか光の加減とかいったものではない──は無視される。

 現代のレンズはミニアチュールを描くようなものだ。正に写実的であり、優れた工房(アトリエ)で制作されたミニアチュール同様、誰が描いたかはもはや関係ない。ただモチーフだけがある2つの絵の違いなのであり、そこにアングルとゴヤとピカソとのような違いは存在しないのだ。いったい、かくも中途半端な写真芸術とやらは、果たして芸術の埒内にあるものなのだろうか。

 芸術とは表現の技術であり、それによって生み出された美そのものである。写真芸術がモチーフに縛られている限り、芸術はモチーフに在って写真は単なる記録媒体に過ぎない。しかし写真はモチーフを表現するものではない、センセイション──セザンヌの云う意味での──を表わすものだ。センセイション、すなわち存在のある一瞬をかけがえのないもの、不滅のものとして定着し、再現するのが写真芸術の使命であり本質なのではなかろうか。とかく誤解を受けがちなカルティエ=ブレソンの出世作「決定的瞬間」の原題は「Image a la Sauvette(逃げ去るイメージ)」なのだ。

 写真レンズはとにかく解像力、特にシャープネスとハイコントラストを目指して発展してきた歴史を背負ってはいるが、目の前の光景をあるがままに──時としてそれ以上に──切り取るだけが写真の在り方ではない。その光景から受け取った──あるいは受け取るであろう感興をも再現できなければならない。良いレンズ悪いレンズなどと云う人やら雑誌やらが存在するが、チャート撮影やら比較撮影やらをもとにしただけでなにが判るというのか。現代の基準からすれば決して優秀とも高性能とも云えないレンズには、そのレンズならではの描写がある。それを味と云うのではない。フェルメールにはフェルメールの、ゴッホにはゴッホのタッチがある。レンズの描写の差とはそう云うものなのであり、決して優劣の差ではない。そのレンズの描写傾向(タッチ)を活かすことに意味があるのだ。とにかくきっちりかっちり写ること、そんなことは報道写真と広告写真に任せておけば良い。

 そもそも良いレンズとはなんなのか。職業写真家にとってではなく、われわれアマチュアフォトグラファにとっての良いレンズとは? わたくしの友人はかつて云った、良いレンズだから良い絵が撮れるのではなく、良い絵が撮れたから良いレンズなのだ、と。その通りだ。万人にとって良いレンズなどあろうはずもない。あなたが良い写真が撮れたと感じたとき、そのレンズはあなたにとって良いレンズとなるのであり、雑誌や他人が何と云おうとも、その評価に間違いはない。
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Contax II + Sonnar 2/85
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by y_takanasi | 2005-05-17 06:11 | Sonnar2/85

Biogon2,8/3,5cm

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いわゆるビオゴンタイプではない、初代ビオゴン。
写真は2003年秋。今にも雨が降りそうな夕刻の波止場。
初めて自家プリントした3枚のうちの1枚。

題名。そんなものはありゃしません。付けろと云われても困る。だいたい題名は言葉であって、それ自体がひとつの媒体。写真と云うそれ自体完成された別の媒体にそんな余計なものをくっつけて、いったいなんになると云うのか。世の中に表題主義者はごまんといるが、彼らは影像の力を信用していないか、言葉の力を軽視している。あなたは表題を読みたいのですか、写真を見たいのですか。両方? そりゃぜいたくな。
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by y_takanasi | 2005-05-14 00:52 | Biogon2,8/35

PLEIN SUMMARES

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 ズマールが欲しい欲しいと思っていたら、なんだかいっぱい増えちゃった。──あ、三十一文字だ(字余り)。

 そんなことはどうでもいいとして、このライツの大口径レンズはフロントエレメントの硝材が柔らかく、拭き傷がつきやすいことで有名である。70年代頃から囁き続けられてあたかも伝説のようになってしまった、ズマールはダメ玉、とゆう評価はほとんどこの拭き傷に由来する。とはいえ、どんなに優れたレンズだって、前玉が傷だらけではまともな絵が撮れようはずもない。そもそもライツとベレクがツァイスのゾナーに対抗して1933年に投入し、10年余りで12万本を売ったのだ。素性がダメ玉でここまでの販売実績を残せるものか。

 ズマールは35ミリ判小型カメラのレンズとしてほぼ初めて、ダブルガウス型の構成を採ったレンズである。ダブルガウス型の利点は、コマ収差を除く他の収差を比較的容易に補正できる点にある。コマチックフレアの問題は対称性を大きく崩すことと空気レンズの導入によって解決に向かい、またバックフォーカスを長くとることができたため、戦後、ほとんどのカメラの標準レンズの座を席捲した。より優れた収差補正を要求される引伸し用レンズも、そのほとんどがこのダブルガウス型を採用している。けれどもズマールを筆頭とする初期のダブルガウス型の弱点は、コマ収差と並んで空気境界面の多いことにもあった。

 反射防止コーティングを施されていないレンズと空気との境界面は、1面につき通常5%の光量ロスをもたらす。一般的なダブルガウス型のように4群6枚の構成ともなれば、界面数は8面、およそ34%の光が正しくフィルム面に届かないことになる。ズマールの場合、開放F2と云っても実質F2,8に近くなるわけだ。さらに正しく到達しない光のうち幾らかは反射を繰り返し、企図されない光路を通ってフィルム面に至るため、好ましからざるフレアの原因になる。

 これらの悪影響はコーティングすることによって劇的に防止されるが、コーティング技術が一般的になるのは戦後になってからだ。もちろんズマールはその恩恵を受けていなかった。このためもともとのコマチックフレアと相俟って、絞り開放での描写はとんでもなく甘く、コントラストが低いものとなる。それでもF4ほどに絞ればある程度改善されて適度なコントラストの低さが却って繊細さを際立たせるようになってくるし、なにより拭き傷がないか極めて少ない、状態の良好なズマールはなかなかに美しい描写をする。これでコーティングが施されていれば少なくとも作画の上では文句はなかろう。常々わたくしが主張するように、写真はシャープでハイコントラストであればいいってものではないのだから。
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by y_takanasi | 2005-05-13 06:53 | Summar2/50