<   2008年 09月 ( 8 )   > この月の画像一覧

これがないと釣れない

 それは徳。
 ちなみに中世、徳のある人とは、金持ちのことを指す。
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Retina Ia (U.S. Ektar 3,5/50). Kodak SUPER GOLD 400
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by y_takanasi | 2008-09-27 19:01 | Retina Ia (Ektar)

アレだ、タマを嵌め込むやつだ。

 10年ちょっとクラカメを弄んでいながら、わたくしはM39やらM42やらの表記が本来規格として存在していて、LTMやらペンタックスねじマウントの呼称としてはひどく正確さを欠いている、と云うことを知らなかった。確かに設計者や機械屋から見れば、この通称は誤用も甚だしい。こう云う仕事に就いている人の習い性として、許し難い誤謬に感じるのも理解できる。なお悪いことに、クラカメを玩びあれこれとごたくを並べ立てる連中(わたくしもその1人だ)は、大体において機械工学の門外漢であるから、余計この手の誤用が目に障るのであろう。

 しかし、言葉は生き物である、と云う立て前はともかくとして、専門用語が別ジャンルの物事に借用されてその意味を変じることもよくあることなのであり、それを用語の元の領域からとやかく云うのは野暮と云うものだ。ましてその言葉が新ジャンルにおいてある程度の支持を得てしまえば、正誤はもはや関係なくなる。だからクラカメ世界でM42マウントと云った場合、それはJISやらなんやらの規格を離れた内径42ミリピッチ1ミリフランジバック45,5ミリのユニバーサルスクリューマウントを指すものだと周知され、規定された「専門用語」なのであると看做して差し支えない。早い話それで、それを必要としている大概の人間に意味が通じてしまえば、言葉の本義やら由来やらはどうでもいいのだ。

 ところでわたくしがM39マウントと云うのに抵抗があるのは、それが不正確だからではなく、ライカネジマウント(フランジバック28,8ミリ)とゼニットSLRマウント(フランジバック45,5ミリ)のどっちだか判らないからである。だからM39ライカマウント、と云われる分には無問題だ(ライカショップはそう表記している)。ついでに云うと内径39ミリピッチ1インチ26山にはもうひとつ、チャイカマウントなんてのもあって、余計訳が判らなくなったりする。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2008-09-22 19:46 | Sonnar2/85

嫌いとか云ってみる

 前にも書いたかも知れないけど、わたくしはM型ライカが嫌いだ。あれは機械としてはよくできていて、商品としても第一級だと思う。終末的な敗戦と黙示的な国家分断から十年も経たずに誕生した工業製品としては、メルセデス・ベンツ300に並ぶドイツ工業の精華であろう。しかしわたくしは、M型ライカが嫌いだ。何よりアレは、美しくない。中途半端にのっぺりと抑揚がなく、緊張感の欠片もない。完璧なまでに人間に馴致され、聊かも破綻しようとする気概がない。これは機械が機械であることを止めて、家電に移行する刹那の姿である。そこにはもはやメカニカルカメラとしての美しさなど寸毫も存在する余地はない。そこへ行くと、バルナックライカには単純で、朴訥な美しさがある。それは同時代のコンタックスの対極にある美しさだ。それはとても粗野で、あけすけで、飾るところがない。少しも洗練されぬ、原始の美しさだ。だがライカは自殺した。不細工な鎧を纏い、当代きっての技術をもっともらしく覆い隠したM型は、コンタックスIIのエピゴーネンであることを殊更恥じるかのような出で立ちでもって、その無粋な姿を衆目に晒したのだ。それに比べれば、ゾルキー3やキヤノンIV型と云ったバルナックライカの無理矢理な変貌の方が、どれほどマシだろう。M型ライカは確かにRFカメラの完成されたカタチのひとつであるが、それはメカニズムにおいてのみのことであって、しかもそのメカニズムは慾を張って無用の領域にまで拡大された結果、冗長に膨れ上がってしまった。これでは美しい訳もない。機械の美しさは常に、内部機構の緊張的平衡によって規定されるからである。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2008-09-21 15:43 | Sonnar2/85

でかい箱がすき

 コンタレックススーパー、ペンタコンスーパー、そしてニコンF2。どうにも、わたくしの主力SLRはばかでかい。もう1台、トプコンREスーパーもやはり、でかい。メインと云うほどではないが、大事なエキザクタマウントカメラ、RTL1000も、決して小さいとは云い難い。意外と気に入ってるペトリV6。これはまァ、クロコン並みの「小ささ」だ。そして常用レンズの重さを考えると、これくらいが振り回すのには丁度いい。これより小さくなると、SLRとしては少々扱いづらくなる。ペンタックスMXとか、オリンパスOMとか、設計者の志はともかく、わたくしが弄るにはちょっと許り小さすぎた。唯一の例外はエクサだ。ウェストレベルで使ってるせいか、SLRと云う感覚が余りない。RFとも違う、独特のフィーリングである。これはエクサIIでもエキザクタでも味わえない、エクサだけの感触だ。
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Pentacon super + Flektogon 2,8/35. RDP II
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by y_takanasi | 2008-09-15 23:49 | Flektogon2,8/35

何故に銀塩

 記録機械としてのカメラなら、フィルムカメラにもはやそのアドバンテージは何もない。いや記録用途でなくとも、高度に画一化され光学性能的にも洗練された今日のデジタルカメラに対して、進化の止めたフィルムカメラにどれだけの実利的優位性があるか。有り体に云えば、そんなものは既にない。では我々は何故、前世紀の遺物たるフィルムカメラに拘泥し、惑溺し、愛玩しようとするのか。フィルムプリントの味? 残念ながら、それすらも今やデジタル環境下で再現または加工されうるものになってしまった。こと生成物としての写真に関する限り、フィルムカメラには一片の優位性も、独自性もない。それでは一体全体、何故に我々はデジカメではなくフィルムカメラを選ぶのか。

 答えは至極簡単なものだ。即ち我々は、それがフィルムカメラだからこそフィルムカメラを選ぶのである。優位性だの利便性だの独自性だの、そういった功利的な選択比較基準は関係がなく、デジカメ──デジタル技術がこの先どんなに発達したところで決して有ち得ない価値基準、つまりフィルムカメラであること自体が、決定的要因なのだ。これは要するに物神崇拝──フェティシズムである。フェティシズムは代替を要求しない以上、我々はフィルムカメラの「代わり」にデジカメを選ぶなどと云う愚挙には出ない。もしそんなことが起きうるとすれば、彼が功利主義者に過ぎなかった時であり、あるいは彼がデジカメをもフェティッシュの対象としてしまった時である。とは云え、全てのフィルムカメラ愛好家がフェティシストと云う訳ではない。功利主義者であるにも拘らず、フィルムカメラにしがみつく人々はいる。ただ彼らは染み付いてしまった習慣を変えることを恐れる、哀れな臆病者に過ぎないだけだ。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2008-09-11 19:37 | Sonnar2/85

フレアってみた

 ハチゴゾナーはお気に入りのレンズだけれど、使い方が割と難しい。ここに掲げた何枚かの絵でも判るように、条件によって盛大にフレアが出る。もちろん条件と云うのは逆光乃至半逆光のことである。これはフードである程度は防げるものの、どこから遮蔽できてどこから出現するのか、ファインダーではちょっと判りづらい。とりわけ反射的にスナップなんかやってると、カンと云うより運任せだ。もっとも自分で焼く分にはどうとでもフォローできるから大して気にはしていない。このフレアは戦前の玉で特に顕著で、戦後オーバーコッヘン製になると若干逓減される。そして王様用ハチゴではほとんど見られない。コーティングの問題ではなく、設計の妙なんだと思う。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2008-09-10 21:24 | Sonnar2/85

如何に見る

 写真とは作品であって、技巧ではない。即ちそれは結果であり、過程は鑑賞者にとって何らの意味も関係も有たない。ゆえに彼らにとっては、その原版がデジタルであるか銀塩であるか、カメラが何でレンズがなんだったのか、まったくの無関係である。彼らはただ、そこに在る絵を見る。それが正しい、そして最も真剣な鑑賞者の態度である。しかし同好の士、自らも写真を撮る者の場合、かようにストイックな鑑賞態度は取りにくいものだ。とりわけ彼がアマチュアならば、尚更に困難である。その障碍の一端は、彼らの向上心に由来しており、且つまた一端は、怠惰に由来する。いずれにしろそこには慾がある。だから我々アマチュアは、写真を写真のみとして捉えることができない。なんとも中途半端で、因果な趣味である。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2008-09-06 19:02 | Sonnar2/85

平家谷

 秘境や秘湯と呼ばれる山間の僻村に行くと、屢々耳にするのが平家落人伝説である。中には奥州藤原氏や、南朝遺臣、時代はずっと下って隠れ切支丹なんてのもあるが、まあ大抵は平家である。そのほとんどは根拠薄弱な伝承の域を出ないし、種々の研究によって全国に散在する平家部落の9割以上は眉唾物とされる。日本に限らず世界的に貴種流離譚は一定の支持を見るものだから、たまたま流れ着いた素性も判らぬ敗残兵が我らは平家の一党だと詐称したところが、そのまま受け入れられて伝えられたことも多いだろう。これが大掛かりになると義経成吉思汗説や安徳天皇琉球王説などに成長するし、別の形を取ると信長や家康が平氏や源氏の末裔を名乗ることになる。

 ところで平朝臣信長は箔付けだったとしても、平氏が壇ノ浦で滅亡したと云うのはまったくのデタラメである。落人伝説が真実を含んでいるからと云う訳ではない。但し、平家が滅亡したと云えば、それは多少とも正確であろう。日本史に疎くてもこの意味が判る人は、氏族制度についてある程度把握している。つまり文治元年春の海戦で殲滅せられたのは平氏の宗家、特定の家名を持たない(伊勢平氏、のちに六波羅家と呼ばれるが)正盛の本家であって、桓武帝から続く平氏一族の大半は生き長らえたのだ。それが後世、特に現代正しく伝わっていないのは、他の平氏が多くは地名に由来する家名を持ち、その家名によって通称されているからである。曰く北條、梶原、三浦、和田、熊谷等々。お気づきだとは思うが、これらはほとんどが関東武家であり、頼朝公の下に源平合戦を戦った家々だ。そう、実のところ源平合戦なる名称は後代の錯乱であり、12世紀末の内戦とは平氏一族による権力争奪抗争に他ならない。

 しかし安徳帝を奉じる平氏総本家(平家)に叛旗を翻すには大義がいる。後白河法皇もそう考えて、後鳥羽帝の他に先の内戦(平治の乱)で根絶しかかっていた源氏宗家(源家)を担ぎ出した。すなわち平家に抗する源氏とは名目に過ぎず、それが源氏の注目されるところとなったのは、たまたま義経と云う戦上手がいた、と云うだけのことだ。権謀家の色濃い頼朝とても坂東平氏の大将──北條家の掌上にあって踊るのみ、義経、行家、範頼とただでさえ少ない本家同族を排斥して、公暁の誅戮とともに源家(こちらは鎌倉家とも呼ばれる)は滅んだ。かくて平氏内紛は北條家の勝利に終わり、源氏が政治の中枢に復帰するには、北関東の片田舎に虐げられていた源高氏の登場を俟たねばならない。すなわち平氏政権は壇ノ浦から更に150年も続くのである。当時の人々はこのことを正しく知っていたからこそ、太平記には、北條家滅亡をもって源氏の宿願は果たされた、と書く。そこで今一度振り返ってみよう。耳なし芳一の伝説で名高い壇ノ浦の血戦で幕を閉じる栄枯盛衰物語の巻名は何だったか。「平家」物語だ。決して「平氏」物語ではないのである。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2008-09-04 20:49 | Sonnar2/85