<   2009年 08月 ( 15 )   > この月の画像一覧

でも焼いてない

 わたくしのプリントの好みは、低コントラストで、軟調で、曖昧で、フラットな、一般的にねむいと云われる絵である。ハイライトもシャドウも立たない、全体にグレー一色で塗りつぶされたような、ぼんよりとした階調の中に世界を構築する。そのくせTXなんか使うから、これが結構、めんどくさいことになる。おまけに大抵1段ほど露出オーバー、自ら窮地に追い込んでいるようなものだ。しかし体がもうこのパターンで固まってしまっているので、却って柔らかいフィルムを使うと勘が狂う。ネオパンSSなんて、ぐだぐだになっちまいますよ。

 こうしてでき上がった絵を見ると、やはり性格が出るものだとつくづく思う。つまりやり方も出来上がりも大雑把なのである。大体試し焼きなんてのは最初の1コマくらいで、あとはネガの濃度分布を見て文字通りテキトーに計時する。見る人が見たらひっくり返るくらいのアバウトさだろう。でも、そこ(ネガ)に在る情報のすべてを抽出するのがプリントではあるまい。作品として期待する結果を出せたか、あるいは超えられたかが大事なのであって、全情報を顕現させることに拘泥して、全体を見ることを忘れては本末転倒と云うものだ。況して写真は写実ではなく、現実の再現でもない。常々書いているように、それはセンセイションの再構成である。少なくとも、事象の記録を目的としない現代のモノクロ写真においては、プリント者のバイアスこそが意味を持つのだ。
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Super Ikonta 531 (Tessar3,5/7cm). Tri X
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by y_takanasi | 2009-08-06 20:35 | SuperIkonta531

れいでぃお

カネがない時に限って色々なモノが壊れる。カメラとか時計とかくるまとかPCとか。
そして最後はカラダが壊れる。アタマはとっくに壊れてるんでもうどーでもいい。
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Beseler Topcon Super D + RE,Auto-Topcor2,8/35. FUJIFILM SP400
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by y_takanasi | 2009-08-05 20:24 | RE,AutoTopcor2,8/35

果てなき逃避行

 今時の絵描きさんの絵を見ると、みんな着彩が上手だとほとほと感心する。その大半はデジタル処理なのだが、デジだろうがアナログだろうが色彩センスがなければトチ狂った画面ができ上がるのだから、手段がなんであるかなど関係ない。わたくしはとにかく小さい頃から色彩感覚がデタラメだったので、なんとも羨ましい限りである。写真を撮り出してからもセンスのなさは一向に改善されないものだから、もう完全に処理回路がイカレてんだろう。カラーネガやポジを余り使わないのは、そう云うことだ。勿論逃げて許りいれば益々向上は望めない訳でもあるが、もうこの歳になると諦めたくなる。でもやっぱり悔しいので、人のカラー写真には論評を加えないようにしていたりする。悪循環ですね。
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Beseler Topcon Super D + RE,Auto-Topcor2,8/35. FUJIFILM SP400
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by y_takanasi | 2009-08-04 20:14 | RE,AutoTopcor2,8/35

あまねくかたよる

 どっかのリサーチで、今の人は物慾が少ないとレポートしてた。みんな云ってるが、元々少ないんじゃなくて、満たしようがないから抑制してるんだよ。即ち、物慾は遍在し、富は偏在する。一億総中流時代から、一億総下流時代へと確実に推移している訳だ。個人的には耐久消費財にはあらかた満足しているので、あとはコンテンツ商材くらいだなあ。
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Beseler Topcon Super D + RE,Auto-Topcor2,8/35. FUJIFILM SP400
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by y_takanasi | 2009-08-03 20:12 | RE,AutoTopcor2,8/35

le nom

 わたくし、日本製のレンズは嫌いじゃないのだが、どうも手許に長居しないのである。今では僅かに5本が残るのみだ。レンズ自体100本以上持っていると云うのに、この数はないんじゃないかとも思う。手許に残らない、つまり愛着が湧かないのは性能のせいではなく、単に名前が原因なんだと思う。早い話、どれもこれも同じネーミングで、面白くもなんともないのだ。

 名前と云うものは常に恣意的に付けられ、そこにシニフィエとの因果関係はまるでないものだが、経験と云う時間の積み重ねが相応関係を発生させて固着する。そうなるとシニフィアンとシニフィエの関係は意識下にコントロールされるものではなくなるから、これを乱す新たな視聴感覚は我々を混乱させるのだ。それ故初期段階での命名と刷り込みはとても大事なことなのだが、日本のレンズはこのプロセスを余りに軽んじてしまった。会社名や単一名によるブランド統合は確かに全体的なブランド戦略に貢献する。だがそれは同時に、個々の製品の主体性を喪わせ、名前だけで個をありありと想起させると云う、名前の有つ効能を捨て去ることとなる。

 しかしこうやって考えると、日本のレンズが辿った途は、ある種極めて日本的な価値観に正しく沿ったものなのかも知れない。即ちそれらレンズの性格は、焦点距離と明るさ以外に何ら差異を持たない均一なものであるべきだ、と云うことである。これは一面において写真レンズの正しい展開の仕方だろう。少なくとも、交換レンズを選ぶ際の基準を画角とスピード以外には置かないような人々にとって、この均一性は頗る重要なことなのだから。
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Beseler Topcon Super D + RE,Auto-Topcor2,8/35. FUJIFILM SP400
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by y_takanasi | 2009-08-02 21:09 | RE,AutoTopcor2,8/35