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えろい

またまたすんごい昔の写真でお茶濁す。
北の丸公園のねこ。
腰つきがえろい。
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Chajka II (INDUSTAR-69. 2,8/28) film unknown
ハーフ判を六ツに伸ばしたプリントのスキャンですが、圧縮しちゃ意味ねえやな。
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by y_takanasi | 2013-06-30 17:15 | INDUSTAR-69

野火止塚

そんな訳でここは平林寺の境内。
天然記念物指定だったのねー。
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Contax II + Biogon 4,5/21. Tri X
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by y_takanasi | 2013-06-23 18:47 | Biogon4,5/21

ひとのいとなみ

宇宙から見える人工物はピラミッドと長城だけ、などとむかし云われたもんですが、今じゃ駐車場のくるままで見えちゃう世の中になりまして、この松平家の御廟もぐーぐるまっぷで見えるんですね。

ちなみに関係ないけど前回までの3写真は、今はなき憲兵隊竹平寮。
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Contax II + Biogon 4,5/21. Tri X
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by y_takanasi | 2013-06-17 20:14 | Biogon4,5/21

もう忘れた

ふきのとう
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CONTAX G2? + Biogon 2,8/28? RA II?
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by y_takanasi | 2013-06-14 21:50 | (N/A)

濁す続き

これも同じ日に撮ったような気がする。
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CONTAX G2? + Planar 2/45? RA II?
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by y_takanasi | 2013-06-12 22:57 | (N/A)

お茶濁し

昔のポジを発掘したのでお茶を濁してみる。
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CONTAX G2? + Biogon 2,8/28? RA II?
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by y_takanasi | 2013-06-10 21:07 | (N/A)

青鞜

周囲を見渡してみると、ラノベ(ライトノベル)が市民権を得てだいぶ経った。もっとも単語として普及したのがこの十年余りと云うことで、ジャンルとしてはもっと昔から存在していたと認識する。80年代後半からのコバルト文庫とか角川スニーカー文庫あたりだ。当時は少女小説と云うよりも少女まんがの小説版と云った位置づけもしくは認知のされようだったと思う。まんがは描けないがまんがのようなお話を書きたい人たちのレーベルとでも云おうか。今ここでラノベや少女小説の定義をどうこうしたい訳ではないので、詳細には立ち入らない。わたくしがふと思ったのは、日本において表現形式の新風はどの時代でも女性作家から吹くのではないか、と云うことだ。70年代から80年代初頭にかけて、「少女まんが」が単に内容が少女向けと云うだけでは括れないジャンルを創造したことを思い起こす。だがしかし、近代以前となると、傍証は現代日本の萌えとエロの原型百貨店とも云うべき「源氏物語」と、いくつかの日記文学くらいしか思いつかないので、武家政治が女性の物書き活動を妨げたと云うのでもない限りは、この仮説もあやふやなままに終わってしまいそうだ。
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Contax II + Topogon 4/25. Tri X
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by y_takanasi | 2013-06-08 19:27 | Topogon4/25

世界の主人

「世界に意味を与えるのか、世界から意味を読み取るのか」

久しぶりに興味深い記事を読んだので、思ったことをつらつらと書いてみよう。(上掲リンク先記事は安達ロベルトさんのブログである。)

──"欧米の写真家が、写真を通して自らが「世界に意味を与える」という能動的なアプローチを多く取るのに対し、日本人の写真家は、「世界から意味を読み取る」ことを大切にする受動的傾向が強いのではないかと思ったのである。"(記事より引用)

記事で筆者も書いているように、これは欧米と日本人の優劣の話ではない。単なる意味もしくは世界に対するアプローチの違いだ。だがこれは、一見正反対の姿勢に見えようが、実のところ世界を再構築すると云う点で同じことをやっているに過ぎない。なんとなればヒトの精神活動は常に能動的であり、意味を読み取ると云う行為はすなわち意味を作り出す行為と等価なのである。

わたくしたちは小さい頃から学校で、作者の考えとか意図とか、ひどい場合には気持ちなんかを見つけるよう訓練されて来ているので、対象に唯一無二の正解があるかのように誤解してしまいがちだが、論文以外にそんなものは本来存在しないのだ。まして写真活動の対象はヒトの創作物ではなく、この世界である。世界はいつでもそこに在るがままに在り、それ自体なんの意味も持っていない。ただ「観る」者だけがそこから意味を見出すのであり、それが(多くの行為者は自覚していないだろうが)意味を与える行為に他ならないのである。

世界を美しく見せるのも、世界を美しいと感じるのも、すべて行為者自身にかかっている。世界が美しいから美しいと感じるのではない。美しいと感じるから世界は美しいのだ。美しいと感じること、それ自体が意味を与える行為なのである。その行為が受動的に見えるとしたら、いや、受動的な云い回しになってしまうのは、思うに日本人の謙虚さがそうさせているだけなのだろう。手柄はわたくしたちにではなく、世界にあるのだと。
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Contax II + Biogon 2,8/3,5cm T. ILFORD XP2 super
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by y_takanasi | 2013-06-06 20:56 | Biogon2,8/35

ファインダーの向こう

 ファインダー越しに見る景色は別世界のように美しい、などと云われることがある。この感覚は実際、何度も体験したことがある。大口径レンズ越しのマット面に浮かび上がる光の山、望遠レンズが手許に引き寄せる事物の細部、超広角レンズの目眩めくパースペクティブ。いや、別にSLRに限ったことではない。ライカM3やヴェラ、またはレニングラードのファインダーを通して目を射る彩度の世界。これらはみな、生の目で見る光景とは違う世界なのだ。そして不幸なことに、フィルムに残されたものとも違うことが屢々ある。屢々どころか、頻繁にある。前者はともかく、後者の現実に煩悶は益々強くなるのだ。すなわち、あの日覗き込んで目にした光景を追い求め、具体的にはフィルムを探して東奔西走する訳だ。そうならないためにも、ファインダーの見えそのものには無頓着であるよう心がける。なに、そこに拘泥しているようではまだまだなのだが……

 え、フレームファインダー使えって?
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Exa ver.4 + Lydith 3,5/30. Tri X
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by y_takanasi | 2013-06-03 20:37 | Lydith3,5/30

うしのあゆみ

……でも前に進むだけいいよね。
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Exa ver.4 + Lydith 3,5/30. Tri X
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by y_takanasi | 2013-06-01 23:07 | Lydith3,5/30