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他人の目

 昔、煙草を吸わない友人が一箱、いつも携帯していた事がある。聞けば台の確保に使うのだそうだ。パチンコの事である。日本は不思議な国で、パチ台にしろカフェ席にしろ、あるいは鉄道の自由席でも、手荷物をほいと置いて席を離れられる社会だ。よほどのことがなければ盗まれる事がない。もっともそれがモラルによるものなのか、あるいは周囲の監視という抑止力によるものなのかは判然としない。生得的に良くない事と認識しているからなのか、まわりの人に目撃されて通報されるのを恐れているからなのか、結果は同じでもこの二つは大きく違う。巨大な災害が起こる度に、日本では略奪暴動がほとんど起きない(まったくではない)ことに海外から驚かれるが、果たしてそれは個々人のモラルに由るものなのだろうか。単なる同調圧力ではないのか。ひと気のない赤信号を平然と渡る人を見かける度に、ふとそんな事を思い出す。そう云えば未就学児童を連れた母親が、点滅する青信号の横断歩道を無理矢理渡って、きちんと歩道に立ち止まった子から叱責される光景もしばしば見かける。願わくば、その子にはその時の気持ちを忘れないでいて欲しい。

 ところで冒頭のパチンコの話である。わたくしはもう何年も足を運ばないので現状を知らないが、今でもパチンコ店内は喫煙可なのだろうか。
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by y_takanasi | 2014-12-31 18:04 | Primoplan1,9/58

卑怯もらっきょうも

 卑怯、という罵りがある。出し抜かれた、裏切られた、つまり想定外の手を打たれた時に発せられることが多い。あるいは予想はしていても、取るはずのない、もしくは取るべきでないと(勝手に)考えていた行動に出られた時だ。しかしこの言葉は、とりもなおさず罵倒する者の知恵の足りなさ、浅はかさを露呈する言葉でもある。想定していたのならなぜ対策を打たなかったのか? 予想もしていなかったのならその想像力の欠如はどこから由来した? 出し抜かれたという思いは、畢竟、己れの無能さに起因するのだ。

 注意すべきは、ルール破りは「卑怯」ではない、ということである。それは単なる「違反」にすぎない。法の抜け道を利用する輩は「卑怯者」だが、法を犯すものはただの「犯罪者」であって、決して卑怯者ではない。裏切りもしかり、契約や誓約を破ったのなら裏切り者と呼べばいい。それは卑怯でも何でもない。ただの口約束や信義や道徳だけに立脚するのなら、そんなものを無根拠に信用する方が愚かなのであり、特に対策を講じなければ「卑怯者」の餌食となるのは必然である。

 日本が法治国家となって久しいにも拘らず、いまだこの手の「卑怯」を口走る輩が多い。彼らはサムライかなにかの心算なのだろうか。わたくしとしては正しく「卑怯者」と罵られた場合、ざまあみろとしか答えようがないのである。サムライの皆様方におかれましては、300年前にでも帰って、どうぞ。

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写真・カメラ


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by y_takanasi | 2014-12-20 19:27 | Primoplan1,9/58

評論家

 評論家と云うものは、知の営為をもって人生や事物の規範を提示する職業だと思っていたものだが、日本のそれを見ているとどうも違うらしい。とりわけ美術評論家と云うものは、自分で物事を考えるという根幹を放擲した、知識のパッチワークで大衆を煙に巻く生き物であると定義した方が良さそうな勢いである。彼らはその感性でもって作品を創り出すこともできなければ、知性でもって作品に新たな価値を与えることもできない、どうしようもないクズらしい。もとより、そのようなクズでも食べて行けるように、日本の美術界が美術評論家というポストを用意しているのだろう。立派な福祉政策ではある。あたうれば、美術評論家評論家なるメタ職業も欲しいと云っては欲張りだろうか。
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by y_takanasi | 2014-12-14 00:50 | Cassar2,9/75