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クラカメの研究という遊び

 クラシックカメラに関する研究というのは、これは一種の考現学である。前世紀の後半から始まって、まだ日は浅いがその文献資料はかなりの量に上っている。もちろん、1次資料も数多い。そうして通説という幾つもの定見が巷間に流布して、これに導かれ、また惑わされることも多い。文献というのは先人の知恵の蓄積であり、これをひとりびとりが逐一検証することは不可能であるし、時間の無駄でもある。そもそも万事がその調子では、人類文明科学技術は発展しない。それにも拘らず、世紀の発見や発明は先賢の知恵を転覆することで成し遂げられてきた。それは偶然であったのか。恐らくはそうである。すべての先人の知に疑いの眼を向けるというアルゴリズム的手法は、確実ではあっても時がそれを許さない。それゆえ多くの発見は偶然とヒューリスティクスによってなされたのであり、結果的に幸運の女神に愛された者だけの手にそれは帰したのだ。

 クラカメ考現学の中にも、この手の罠が待ち受けている。すべての通説は覆される可能性を秘めているが、さりとてすべてを疑う必要もない。先人の知恵は、ただそれだけでも尊重する価値がある。だが、あなたの経験と興味の集中とがそこになんらかの綻びを見出したのなら、新しい発見が待っているのかもしれない。
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Leica M3 + Summar 2/5cm. ILFORD DELTA 400
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by y_takanasi | 2005-12-04 20:37 | Summar2/50

風景写真

 わたくしは風景写真というものが、どちらかというと嫌いです。あるいは、自分が撮るのが苦手だから、嫌いなのかもしれません。自分が撮れないものを、他人がやすやすと撮る。それが悔しくて、ことさら嫌いになったのかもしれません。しかし、どんな風景写真を見ても、心動かされないのは事実なのです。アダムスの雄大な自然、アジェのパリの街角、それらも観光絵はがきの一葉にしか過ぎません。

 ただし、そこに1人でもひとが写っていれば、突然心がかき乱されます。たとえそれが集合写真であろうと、パンフレットの作例写真であろうと、人間が写っている写真には心惹かれるのです。恐らく、わたくしは人間がすきなのでしょう。そうしてその人間たちの、今在ることを写しとどめた痕跡に、なにがしかの共感を覚えるのです。それは残念ながら、写真本来の美しさではないかもしれません。しかしそこから、写し出された人々の背後にドラマを紡ぎ出そうとするのでもありません。ただイマソコニnunc et iste在る人々の瞬間、未来でも過去でもない、窮極の点としての今の美しさが、わたくしの心を捉えて離さないのです。

 え、風景にだって、その瞬間の美があるじゃないか? そらまあそうなんですがね、どーもわたくしの鈍い感性には響いて来ないようでございまして。
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とかいいながら風景写真 Praktica LTL + Pancolar 1,4/55. ILFORD 400 DELTA
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by y_takanasi | 2005-10-15 02:28 | Pancoloar1,4/55

うで

 写真の良し悪しは何%腕で決まるか? わたくしの考えでは、100%だ。おいこら、云ってること違うじゃないか、機材はどうした、と思われるかもしれないが、なに、なにも矛盾したことは云ってない。機材の選択は技法の差異として表現に何らかの違いをもたらす。しかし、それが良し悪しを左右するわけではない。云ってみれば、適切な機材の選択は、よい写真にさらなる深みをもたらす。だが、悪い写真はどこまでいっても悪い写真である。

 残念ながら、適切な機材の選択も、腕の悪さをカバーし得るものではない。そんなことが可能だとしたら、写真芸術に勝利の方程式が存在することになってしまうではないか。機材の選択は、あくまで表現様式、技法の選択であり、でき上がった写真のよさを保証するものではない。この画一化された現代写真芸術のなかにも、よい絵は存在する。ただ、そこに面白みがないだけだ。

 ちなみに冒頭のわたくしの考え方には、もうひとつの重要な主張、すなわち、写真の良し悪しに被写体はいっさい関与しない、という考え方も含まれているのである。
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Leica M3 + Summicron 2/5cm(collapsible). Tri X
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by y_takanasi | 2005-10-07 17:58 | Summicron2/50*

構図

 写真教室や撮影技巧書でさも国家の一大事のように教え解説される構図というものに、わたくしは相当食傷している。大体どこに行っても何を見ても、云ってることは一緒である。つまりそれはノルムなのだ。ノルムはもちろん基礎であり、それ自体軽んじられるべきものではないが、しかしそこまでのものでしかない。すぐれたノルムの美というものはある。だがそれは最大公約数であって、自然数の公約数は決してそれ自身を超えることがない。おのれの中に美の規範を有たずに、どうして他人の美を模倣しようとするのか。自分で美しいと思った──思える構図で撮ればいいのだ。それは世間一般の美とは違うかもしれないが、少なくともあなたの美なのである。そしてそれこそが、表現なのではないだろうか。
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EXAKTA RTL1000 + Primotar 3,5/80. NEOPAN 400 PRESTO
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by y_takanasi | 2005-10-02 21:55 | Primotar3,5/80

ノートリミング主義

 主義ってほどじゃあないが、わたくしはノートリミングがすきだ。とゆうかトリミングが嫌いだ。撮影時に被写体の取捨選択はしているのだから、もう一度同じことをするのがめんどくさい、というのもあるし、写ってしまった以上は写るべくして写ったのだから、それを尊重するのだ、という運命論的なものもある。でもまあ、本音はとにかくめんどくさい、とゆうとこだろうな。

 それから黒枠をつけて焼くのもすきだ。ポートレイトなんかでは厭がられる黒枠だが、こっからここまでがわたくしの撮った範囲、と主張するかのような黒枠がないと、なんだか落ち着かない。

 それに、表現芸術なんてものは個人の我の押しつけなんだから、こーゆうのもアリだろう。インテリアアートのように見るものの心を和ませ、安らぎを与えるアートがあってもよいし、鑑賞するものに緊張を強い、戦うアートがあってもよい。だいいち、美とは本来無用で傲慢なものなのだ。
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EXAKTA RTL1000 + Orestor 2,8/100. Tri X
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by y_takanasi | 2005-09-30 22:26 | Orestor2,8/100

評議会連邦

 中判には転ばない、と云ったくせに、最近サリュートSが面白くて仕方ありません。しかもハッセルブラッドは厭だ、とも云ったはずなのに、そのハッセルコピーのサリュートです。あの、バシューンというシャッター音とか、寸胴のハコの手触りとか、ウェストレベルファインダーの見え方とかが、妙に撮影意欲をかき立てるのです。あるいはこれが、ソビエトコピーものの魔力なのかもしれません。
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Saljut S + Mir 26V(3,5/45). Tri X
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by y_takanasi | 2005-09-29 23:58 | MIR-26V*

プリント

 写真はどこまで行って完成品となるか。当たり前のことだが、ひとに見せることを前提としている多くの場合、それはプリント、またはPCデータ化するまで行って、初めて完成品となる。リバーサルフィルムであっても、スライド上映で鑑賞するなんてことはきょうびあまりあることではないから、特殊な目的でもない限り(例えばステレオ写真とか)やはりプリントが前提だ。ビューワで覗き込むなんて、あくまで写真オタク同士の流儀である。

 そうなると、どのようなフィルムを使うか、だけでなく、どのようなプリント工程、どのようなデジタルデータ化、といったことも、本来重要なことなのだ。ほとんどのひとにとって、これらの工程はまずラボ任せである。それが悪いというのではない。自分でプリントしなければ本当の自分の写真にはならない、などとくだらないことを云いたいわけでもない。単に撮影するだけでなく、プリントが完了して初めて写真となる、そのことを意識しているかどうかが重要なのだ。

 写真は選択の芸術だと誰かが云っていた。その選択とは被写体に限ったことではない。カメラ、レンズ、フィルム、印画紙、現像工程、そのすべてに選択の余地と、表現の幅があるのだ。そうしてもちろん、ラボ任せにするとしても、どのラボを選ぶのかという選択肢が、あなたにはあるのである。それを軽んじてはいけない。
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FED + FED 2/50. ILFORD DELTA 400
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by y_takanasi | 2005-09-28 21:49 | FED2/50

写真表現

 あるひとつの写真を例えば記号として捉えた場合、我々はまずそこから指標作用を取り除き、これを表現表示作用のみに純化せねばならない。すなわち、そこに何が写っているのかを問うのではなく、どう表れているのかを見つめなければならないのだ。その上で各々の表示作用が我々の認識そして心象にもたらした──あるいはもたらすべき現象について判断するのである。

 よく写真の害悪のように云われる周辺光量落ち、四隅の乱れ、コマ収差や口径食も、それが欠点であると即断すべきではない。一般的な写真──表現とは、現実の模倣でも定着でもない。上述の欠点と見なされる特徴も、ただ写真レンズ発展の文脈から欠点と見るのではなく、表現表示作用のひとつとして写真全体の中で捉え、評価しなければならないのだ。

 かるがゆえに、写真にとって機材の選択は、画家が絵筆を選ぶのとは違う次元で、より重要なこととなる。それは絵筆が絵を描くための道具に過ぎないのに対し、機材──とりわけレンズとフィルム──は、単に写真を撮るための道具ではなく、写真表現自体に密接な連関を有つ、いわば技法そのものでもあるからだ。

 世の多くの写真好きと称する連中は、ここのところに気付いていない。このため、昨今はびこる写真芸術とやらは、被写体の珍奇さ、構図の斬新さ、表題の雄弁さばかりを衒っているだけで、還元すればただ一派のバリエーションを奏でているに過ぎない。わたくしが現代写真芸術に面白みを見出せないのは、そういった画一主義とモチーフ主義の氾濫するがゆえである。

 これは写真に限らず、小説や映画、まんがでもそうだ。それが時代の風潮だというのなら、そんなくだらない流行に従わなくともすむ、アマチュアでいることに感謝すべきだろうか。
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Contax II + Sonnar 2/8,5cm T. ILFORD DELTA 100
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by y_takanasi | 2005-09-23 19:59 | Sonnar2/85

写真と機材

 恐らく一般的な考え方ではないだろうが、わたくしは写真を見るときに、何で撮ったのかを、何が写っているかよりも、重要なことだと考えている。それは、どう写っているかに直接関与する要素だからだ。

 確かに、文章創作において使用したペンやワープロ、絵画においてカンバスや絵筆、絵具に拘泥するのは間抜けな話だ。だが、写真におけるレンズやフィルム、カメラ──これはそれほど重要でないが──は、絵筆や絵具とは違う。写真において創造性は、なにも被写体と構図だけに存在するのではない。それだけならば、写実的絵画となんら変わるところはない。どのようなレンズを使い、どのようなフィルムで写し、ひいてはどのようなフィルム現像、いかなる印画紙、プリント現像したかにまで、それは見出し得るのだ。なんとなれば、たとえ同じ被写体を同じ構図で撮影したとしても、以上の要素が異なれば、でき上がったプリントは決して同じものにはならない。すなわちこれらの選択の中に、写真を撮る者の創造性が関与するのだ。

 それは、広い意味で作者の意図と呼んでも良い。わたくしは作品鑑賞において作者の意図と云うものを極力排除する立場の人間だが(だから表題も嫌いだ)、前者の意図は、どう写したか、であって、後者の、何を写したか──それを通じて何を表そうとしたか──と云う意図とは関係がない。それは、後者が作品解釈と云う名の逸脱行為に関わるものであるのに対し、前者はあくまで作品表現それのみに結びついているからだ。

 我々は写真を通して何かを見るのではない。写真そのものを見るのである。そうして写真表現とは、ただ何が写っているかだけではないのだ。構図は無論、光の加減、ハイエストライトからディープシャドウまでの階調分布、銀粒子の粗細、それらすべてが表現としての幅を有っているのであり、絶対のパラメータ配置は存在しない。これらの幅は現像からプリントまでの工程を同一にしたところで、なおカメラとレンズとによって、変化する余地を有しているのだ──現代のレンズがより画一化を強めているとしても。

 弘法は筆を選ばない。だが、良き写真家は機材を選ぶのである。
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Contax II + Sonnar 2/5cm. ILFORD DELTA 400
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by y_takanasi | 2005-09-12 09:07 | Sonnar2/50

10枚

 誰だったか忘れたけれど、レンズを1本手に入れたら、これは、と思える写真を10枚撮るまではそのレンズを使い続ける(ほかのレンズに手を出すな)、と云っていた写真家がいた。これはたぶん、写真、と云うか、写真術の要諦を云い得ているのだろう。1本のレンズ、1台のカメラに習熟しなければ、上達にはほど遠い。まして何台ものカメラ、何本ものレンズを取っ替え引っ替えしていては、いい写真なんぞ撮れようもないのだ。

 そう、頭では判っていても、わたくしはコレクターである。所有するレンズの数からすれば、もう何百枚もステキな写真を撮っている筈だが、現実には十指で指のほうが余るくらいだ。上達の志がないわけではないが、精進するにはまだまだ先は長い。日々煩悩に惑わされ続けて、あっちこっちとふらふらしている。
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Contax II + Biogon 2,8/3,5cm T. Tri X
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by y_takanasi | 2005-08-31 09:35 | Biogon2,8/35