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戦前の3本の2/5cmレンズ(その2)

 この新参者の攻勢に対し、翌1933年ライツは早くも防衛策を打ち出した。低速シャッターを装備したライカDIIIの登場と、ズマール2/5cmの投入である。いわゆるダブルガウスタイプのズマールが、なぜトリプレットの変形ではなく、リーのオピックレンズに端を発するこの途を採ったのか詳らかにしないが、マックス・ベレクにはガウスタイプについての論考も多くあるから、慣れた手法によったのかもしれないし、あるいはゾナーによってトリプレットの行く先を指し示された結果、否応なくガウスタイプの展開を模索したがゆえの論文の多さかもしれない。いずれにせよ、ライツとベレクがガウスタイプを選択したことは、この時点でまだ幾分かの制約事項(例えば界面反射の問題)を伴っていたとは云え、大口径レンズの発展について先見の明を有っていたとも云えよう。

 ライカ判カメラにおける最初の本格的なダブルガウス型のレンズ、ズマール2/5cmは、しかしそのライバル(ゾナー2/5cm)に対して空気境界面が8つもあるというハンデを背負っていた。コーティングのない時代、この空気界面の存在は画質に悪影響を及ぼすフレアの原因として忌まれており、一面につき約5%の光が失われるか乱反射するため、8面ともなれば1/3以上の入射光量がフィルムに正しく到達しないことになる。ツァイスはこの界面数に制限を設けていたと思しく(例としてヘラーの設計手順)、ビオゴンとオルトメターを除く戦前のコンタックスレンズはすべて6面以下だった。ゾナーがその驚くべき鮮鋭度と明るさを有ちえたのも、「貴方のカメラの鷹の目」テッサー同様、6面に抑えたお陰でもあった。

 このハンデにも拘らず、しかしズマールは12万本を売った。ヘクトール2,5/5cmが1万本に満たなかったことを考えると、ただ単に明るかったがためだけとは思われない。実際空気界面による損失量を考慮すれば、ズマールの開放F値は2,8に近かったはずである。今日残るズマールの多くは、フロントエレメントの硝材が柔らかいせいもあって状態の悪いものばかりで、このため新品当時の性能を発揮し得ていない。このような個体の写りの悪さがズマールの評判を落としているのだが、それはベレクの思いもよらないことだったろう。コンディションの良い、あるいは後世再研磨コーティングされたズマールの写りは決してゾナーに劣るものではない。確かにシャープネスでは一歩を譲るとしても、画面全体に亘る穏やかで繊細な描写は他の何ものにも代え難いはずだ。ライツ──ベレクの選択は間違ってはいなかった。それはズミタールを経てズミクロン2/50において完全に証明される。
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Urayasu, Leica M3 + Summar 2/5cm, ILFORD 400 DELTA PRO
by y_takanasi | 2005-05-23 06:18 | Summar2/50


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